CATEGORY:自衛隊

2016年03月10日

「迎えに来ました」傷つけずに「救助」。あの日のこと、あの日以降のことを思う。




http://www.yomiuri.co.jp/local/kanagawa/news/20160309-OYTNT50314.html?from=ycont_top_photo
写真は、上記サイトから転載。
以下は、上記サイトから一部転載。

◆海自掃海隊員、不明者捜索振り返る

 東日本大震災の発生直後から、横須賀市の海上自衛隊掃海隊群は最大時で掃海艇など20隻と隊員ら800人を投入し、太平洋側沿岸の行方不明者の捜索や、孤立地域の支援活動を展開した。海自が収容した425人の遺体の4割を発見し、引き揚げたという。現場に赴いた隊員の一人が当時の活動を振り返った。(光尾豊)

 髪の長い女性は、靴も履いたままだった。ネットと毛布にくるんで抱きかかえ、ゴムボートに収容するとき、左手の薬指の指輪が光った。「若い奥さんだろうか。見つけたことが、家族に厳しい現実を突き付けることにならないか」。第41掃海隊の水中処分員(EOD)だった谷口設夫1曹(47)は胸が締め付けられる思いだった。

 震災3か月後の2011年6月。「女性3人が行方不明のまま」という地元漁協の情報を基に、宮城県・松島湾にゴムボート3隻で乗り入れた。すぐに2人が見つかり、別の男性の遺体も発見されたが、もう1人の居場所が分からない。撤収時間の直前に、大量のがれきの間に浮かんでいる指輪の女性を見つけ出した。

 ゴムボートでがれきをかき分け、さらに泳いで行方不明者を捜す。本来は海に潜って機雷除去などを行うEODだが、人命救助の訓練も積んでいるという。当時、掃海隊群司令だった福本出・元海将はEODについて、「漁具や養殖いかだ、重油などが絡み合い、1センチ先も見えない水中を両手の感覚だけで潜る。感染症の危険とも隣り合わせで、一番つらい任務にあたってもらった」と振り返る。活動は8月末まで続いた。

 谷口1曹は「医師が判断するまでは死者ではない」との信念から、どんな遺体も生存者として接したという。シートに入れても顔の部分はファスナーを開け、若い隊員には「『迎えに来ました』『寒かったでしょう』と声をかけよう」と指示した。

 後日、指輪の女性の遺族と対面する機会があった。「ありがとうございました」と言われ、胸のつかえが下りる気がした。発見現場近くを再び訪れたとき、「よく、そこにいてくれました。救助ができました」と手を合わせた。遺体を傷つけないためにネットと毛布にくるむ方法は、若い隊員にも引き継いだ。

 震災5年。「体験を語り伝え、震災の風化を防ぐことが最も重要なことだと確信している。もし災害で助けを求める人がいたら、また必ず駆け付けたい」と力を込めた。
以下略。

あれから5年。
今年の3/11は、5年前と同じ金曜日。
あの日、あの瞬間、何してました?
思い出してみてください。




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Posted by おしょー♪  at 11:05 │Comments(0)自衛隊

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